Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
昭和のフィクサーと呼ばれた右翼の大物と、『NOW』『ミセス』などクオリティマガジンの創刊時のエディトリアル・デザインで知られるアートディレクター、そしてテレビドラマの脚本家にして直木賞作家。
答えは、同じ時期に南青山の同じマンションにいたことだ。
向田邦子が“自分の未来に賭けて”買ったこの新築のマンションは、昭和45年(1970)の竣工。
表参道の駅から直結する便利さに加え、エントランスの車寄せはホテルのように広い、人の出入りを視る管理人室があり、左右に別れた棟にはそれぞれ専用のエレベーターがついている。当時最高級を謳われたマンションだ。
実業家から、デザイナー、コピーライターやCMディレクター、シナリオライターまで、その分野で抜きんでた当代一の人々が入居したことでも有名だ。
青山は向田邦子が愛した街で、航空機事故で急逝するまでの約11年をここで過ごしたという。
彼女が贔屓にしていた店のいくつかは閉店したところもあるが、和菓子や日本料理の店などは今でも暖簾が引き継がれている。
彼女の終の住処になったマンションから徒歩300歩のところにある複合文化施設「スパイラル」で、没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」がはじまった。
これは向田邦子を回顧するのではなく、向田邦子と「今」を掛け合わせる試みだという。
スパイラルは巨匠・槇文彦の設計で、自然光が降り注ぐ高さ17mの半円筒のアトリウムと、そこへ続く20mもあるギャラリー、そして青山通りを見下ろす2階へと続くエスプラナード(大階段)が特徴の名建築だ。
この展覧会もこの空間を駆使することで魅力的なものになっている。
アトリウムへ続くギャラリーは年譜と旅の記録。そして吹き抜けの空間には彼女の部屋にあった椅子、テーブルの上には白い受話器。
なんと、彼女が吹き込んだ留守番電話応答メッセージが聞こえてくる。
そして「風の塔」という不思議なタワーがそびえていて、向田作品の中からよりすぐった言葉が上から聞こえてくる、そして風にのって文字がふわりと舞い降りる仕掛けだ。
ここでは脚本家としての彼女の仕事をたどることができる。
家族の日常を描かせたら右に出るものがいない向田ドラマで、一番印象に残っているのはなんといっても「阿修羅のごとく」だ。
年配の父に愛人と子どもがいることが判明し動転する4人姉妹。
温和な母親のふじはある日、夫の服のポケットからミニカーを発見し、長年連れ添った夫の裏切りに気づく。
そして、突如そのミニカーを襖に投げつけ、また長閑な日常に戻っていく。
この場面に被さるのがトルコの軍楽「ジェッディン・デデン」
https://www.youtube.com/watch?v=KHSQTSNU8Fk
演出を手がけた和田勉自身がトルコで録音してきたものだという。
平穏に見える日々の中に潜むぞっとするような緊迫感。
この脚本と演出は今でも最高に凄くて怖い。
ドラマのファンではなかったが、逝去後に組まれた雑誌の数々の特集で知った彼女の衣食住=暮らしの流儀の方に興味が湧いた。
愛用品に見る彼女が貫いた選択眼とこだわりは、エッセイと照らし合わせてみるととても説得力がある。
衣=装いに関して向田邦子には独自のスタイルがあった。
今回は、色とりどりのワンピース、晴れの舞台の時の装い、マント、トレンチコート、スカーフ、靴やバッグ、帽子などがエスプラナードに配され、華やかなワードローブ・ルームのようになっている。
没後10年に渋谷西武のB館で開かれた「向田邦子の世界」展でも、1976年から2012年まで美智子妃のデザイナーを勤めた植田いつ子のところで誂えた服が展示されていた。
「気品。かくれたお色気。ゆったりした雰囲気。さりげない華やかさ…この人の服を着ると、自分に無い女らしさのお裾わけにあずかったような気分になります」とあった。(『婦人画報』昭和55年8月号)
なるほど。
2階の展示会場には「向田邦子が選んだ食いしん坊に贈る100冊の本」が勢揃いしている。同じマンションの江島任の部屋に赴き向田自ら装丁を頼みに行ったはじめての随筆集『父の詫び状』もある。
100冊の本リストには入っていないが「雲月」の女将である福知千代の『つけもの・常備菜』、『ご飯』、『煮たきもの あえもの 秋─冬』、『煮たきもの あえもの 春─夏』(ミセス編集部編”和食シリーズ”全7巻 文化出版局刊)も彼女の本棚にあったそうだ。この装丁も江島任のデザインだ。
その隣には愛用のうつわの数々。
食=彼女は手料理も見事で、妹の和子とともに「ままや」という店を昭和53年(1978)に赤坂の街に開いた。
「おいしくて安くて小奇麗で、女ひとりでも気兼ねなく入れる和食の店はないだろうか。切実にそう思ったのは、三年前からである。仕事が忙しい上に体をこわしたこともあるが、親のうちを出て十五年、ひとりの食事を作るのに飽きてくたびれたのも本音である。」(「ままや繁盛記」初出『ミセス』昭和53年11月号)
そしてこんなことも書いている「名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れない内に自分で再現して見るー これが私の料理のお稽古なのです。」(『眠る盃(幻のソース)』)
さすがだ。
会場1階にある「スパイラルカフェ」では、ままやの看板メニューを少しアレンジを加え再現した「ままやセット」という特別メニューも提供されている。
定番のひと口カレーとにんじんのピリ煮、さつまいものレモン煮。にんじんもさつまいももしっかり歯応えのあるところがいい。
住=暮らし方は、彼女の部屋の写真の佇まいで窺い知ることができる。
中川一政の書、藤田嗣治の猫のリトグラフ、片岡球子の富士山などの絵画や、宗胡録(すんころく)など本物で気に入ったものだけを身辺に置いた暮らしだ。
日常を疎かにしないこういった潔さから、「亀の子ダワシ一つ、私の気に入らないものは、この家には何もありません」と言いきった高峰秀子の本物を見抜く審美眼に満ちた一冊の本を思い出した。
梅原龍三郎の書と画で装丁された『瓶の中』(昭和47年 文化出版局刊)。これは少女の頃からの骨董好きの確かな目が選んだ道具やうつわが、名エッセイストでもある高峰の文章と共に楽しめる贅沢な本だ。梅原画伯や藤田嗣治との交流も伺い知ることができる。
そして食に関しては安野光雅の表紙や挿画の『台所のオーケストラ』(昭和57年 潮出版社刊)がそれで、これらは新装版になって今も出版されている。
このように「魅力ある女性」の生き方にまつわる本が今でも多く出版されているのは、向田以外では高峰秀子、最近では茨木のり子くらいでは無いだろうか。
向田邦子には妹の向田和子が、高峰秀子には養女である斎藤明美が、姉や母の全てを情熱を持って伝える努力を怠らないことの結果だろうと思う。
私の上にふわりと舞い降りてきた言葉はこれだった。
「姉妹(きょうだい)というものは、ひとつ莢(さや)の中で育つ豆のようなものだと思う。大きく実り、時期が来てはじけると、暮らしも考え方もバラバラになってしまう」(ドラマ「阿修羅のごとく」より)
邦子、和子姉妹は、はじけた後もバラバラにはならなかった豆なのかもしれない。
<関連情報>
□向田邦子没後40年特別イベント 「いま、風が吹いている」
https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-hall/spiralhallmukoudakuniko
⚫︎2月28日24時まで、以下のウェブサイトで展覧会の模様を無料でオンラインで観覧できます。
https://www.spiral.co.jp/topics/art-and-event/mukodakuniko
⚫︎ドキュメンタリー『向田邦子からの贈り物』
⚫︎演劇『寺内貫太郎33回忌』
⚫︎音楽『風のコンサート』
以上、スパイラルホールで公演を予定していた3演目はコロナ感染拡大の情勢を鑑みて、配信公演となった。
【公演配信:2 月27 日(土)より開始】
テレビマンユニオン チャンネル https://members.tvuch.com/mukoda/
問:テレビマンユニオン「いま、風が吹いている」専用ダイヤル】090-8859-8399(月 - 金 12:00 - 17:00)
□向田邦子が贔屓にした店
⚫︎湖月
住所:東京都渋谷区神宮前5-50-10
日曜・祝日 定休
先代夫婦が青山に店を構えたのは昭和42年(1967) 。1996年から2代目の佐藤重行に受け継がれている。
https://www.kogetsu.tokyo
⚫︎いわ田 鮮魚店
住所:東京都港区西麻布1丁目12-10
『麻布 いわ田 魚魚物語』(岩田修 著1996年 実業之日本社刊)
⚫︎増田屋 お蕎麦古道
住所:東京都港区南青山3-18-3 M2F
日曜定休
港区麻布にあった増田屋が、明治45年(1912年)に新潟県人の故古道文次さんに暖簾分けしたのがはじまりで、お蕎麦古道は暖簾分け一号店。
⚫︎菓匠 菊屋
住所:東京都港区南青山5ー13ー2 菊家ビル9F
日曜・月曜・祝日 定休
1910年創業。最近店舗のあった敷地にビルを建て1月12日にその9階に開店したばかり。
馴染み深い看板も9階へ移されている。菊家銘菓”利休ふやき”と丹波豆の”青山”。
http://home.h00.itscom.net/kikuya/
以下は既に閉店
⚫︎大坊珈琲店(2013 年閉店)
閉店に至るまでを店主 大坊勝次が綴った『大坊珈琲店のマニュアル』(2019年 誠文堂新光社刊)