Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
丸の内に最初にできたオフィスビルは「三菱一号館」だったそうだ。
建物は維新後まもない明治政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され1894(明治27)年に竣工、煉瓦造りで英国のクイーン・アン様式でつくられた。
「丸の内」と呼ばれるこの辺りは明治維新後に陸軍の兵舎や練兵場があったところで、その施設移転後、岩崎彌之助率いる「三菱社」が軍の土地10万4千坪の払い下げを受けた。施設を取り壊した後の空き地は“三菱ヶ原”の異名をとったほど広大だったそうだ。
その「三菱社」は“三菱ヶ原”にオフィス街の建設を計画し、ロンドン金融街=CITYにある「Lomberd Street」が参考にされたという。1894年竣工の「一号館」から1914年竣工の「二十一号館」に至るまで赤煉瓦造りの21棟の「三菱館」を建てたため、その街並みは「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれたという。ちなみに東京駅が辰野金吾設計によって竣工したのは1914年のことだ。
「三菱一号館」は老朽化のために1968年に解体されたが、その後40年あまりの時を経てコンドルの原設計に則って2010年春、同じ地に「三菱一号館美術館」として蘇った。
「一丁倫敦」の歴史は美術館オープンに先駆けて2009年に開催された「一丁倫敦と丸の内スタイル」展で知った。
https://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec090701_1.pdf
その「三菱一号館美術館」で今開催されているのが「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」展だ。
上野リチ(フェリーツェ・リックス)は1893年にウィーンの裕福なユダヤ系の家に生まれた女性。1967年に逝去しているので、リチの生きた時代とこの館の存在した時代が、偶然にも重なる。
この展覧会はリチの受けたウィーン工芸学校の教育、ウィーン工房時代に手がけたデザイン、京都での活動までを網羅した大規模な回顧展だ。彼女はウィーン工房でデザイナーとして活躍、1925年に開催された「パリ万博(通称アール・デコ博)」でオーストリア館に展示されたテキスタイルが銅賞を受賞している。その最中、ウィーン分離派の中心メンバーでウィーン工房の主宰者ヨーゼフ・ホフマンの建築事務所に在籍していた上野伊三郎と出会い結婚、その後ナチの台頭するヨーロッパを避け伊三郎とともに京都へ拠点を移している。
彼女はヨーゼフ・ホフマン、伊三郎が日本へ招聘したブルーノ・タウト、バウハウスの創立者ヴァルター・グロピウスとも交流があった。世紀末から20世紀初頭は工芸改革運動やデザインや建築に新しい波が生まれ、世界情勢も激動の時代に突入する。その時代を生き抜いたリチだが、どのような状況でもデザインの潮流がどう変わろうと、彼女の独自のスタイルが全く揺るぎないことに驚く。
伸びやかな線、抽象化された動植物、そしてとびきり鮮やかな色彩。
暗さ、堅苦しさ、陰鬱とは対極にある明るく快活で朗らかな作品ばかりだ。
そしてそれらが全く古びていないことに感動を覚える。
1926年、リチは夫と共に「上野建築事務所」を京都に開設。建築部は伊三郎が、美術工芸部はリチが主任となり二人で数々の建築と内装を手がけている。
中でも京都の洋食レストラン「スター食堂」の店舗設計はモダンな仕事で、このような斬新なデザインが昭和4年(1929年)の京都にあったことが画期的だ。四条大橋のたもとに今も建つ洋館(現・東華菜館)も、元は西洋料理店「矢尾政」がウイリアム・メレル・ヴォーリズに依頼したものだ。これは大正15年(1926年)のことだから、この当時進取の気性溢れるクライアントが京都にいたことがよくわかる。
https://www.tohkasaikan.com/information/vories.html
個人の邸宅の設計もシンプルだが、リチの手による室内設計でほんのりと暖かな印象になっている。
夫伊三郎が所長をつとめた「群馬県工芸所」のコーナーもあった。
高崎の実業家で工芸運動を起こした井上房一郎とブルーノ・タウトが設立した地場産業の近代化のために設立した工芸所だ。タウトはリチのデザインを認めようとはしなかったが、彼女の竹製のサンドイッチセットはタウトのヤーンバスケットより軽やかで魅力的だ。
終戦後に建築事務所を閉所し、リチは工芸美術の教育に心血を注ぐようになる。
1960年には「京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)」の教授となる。その数年後村野藤吾の手がけた東京の「日本生命ビル」内の「日生劇場」地下のレストラン「アクトレス」のための天井画、壁画を村野から依頼された。
リチのデザインを高く評価していた村野は、リチに1930年代の装飾画をリチ独特の手法で再現することを望んだそうだ。ウィーン工房の壁から天井まで覆い尽くすあの手法だ。
この壁画はリチ門下の大学の優秀な学生4名が共同製作者として選ばれ、リチによるイメージ画を約350枚のパネルに描き、それを100坪ものレストランの現場に運び込み、リチの指導のもと手を加えたというエピソードがある。
京都にあった村野藤吾設計の木造住宅「比燕荘」で1987年に「ウィーン工房の使者 リチ・上野=リックス展」として開催されたことを知ったのは、今開催中の「小池一子展」で小池のキュレイションの仕事として展示されたポスターを見かけたからだ。
その時浮かんだ「何故村野建築で展示?」との謎がようやく解けた。
展覧会場を出てミュージアムショプへ。
もちろんリチデザインのプリントを使ったグッズや絵葉書もあるし、ウィーン工房のデザイン画からリアライズされた手編みのジュエリーまである。
ウィーン分離派関連の書籍も充実している。
ヨーゼフ・ホフマンがガラス工房「ロブマイヤー」のためにデザインした「ホフマンブラック」(1912年)のワイン・デキャンタやワイングラスもあった。
https://www.lobmeyr.at/content/ww-artdeco/ww-artdeco2/
ウィーン工房のヨーゼフ・ホフマンのデザインが今でも現役なのは「ロブマイヤー」だけでなく、ウィーンの陶器メーカー「アウガルテン」のメロン(1929年)
https://www.augarten.com/en/24-melone
や
バックハウゼンのテキスタイルにもホフマンデザインがあったはずだ。
https://www.manas.co.jp/backhausen/hoffmann-ii-trentino-urban/
次は美術館併設のミュージアムカフェ・バー「Café 1896」へ。
ここはかつて三菱社の銀行営業部として使われていた施設を忠実に再現したものだ。19世紀末のウィーンに想いをはせるには、精巧に再現された天井まで高くそびえる円柱や床のタイルは最高の舞台装置だ。
リチ展とのタイアップ・メニューもあるが、美術館所蔵品の絵画にちなんだSpecial Drink Menuが楽しい。こちらはロートレックの「ジャンヌ・アヴリル」をイメージした柑橘系のカクテル。
ウィーン工房から生まれ現代でも生きているデザインは他にもあったはずだ。美術館の帰りに日本橋のデパートへ行きウィーンの老舗菓子店「デメル」に寄ってみた。あ、まだあった。
この横を向いたウサギは、デメルの菓子箱のためにウィーン工房のJosef Divekyによってデザインされたグラフィックだ。
18世紀末から「K.u.K.HOFZUCKERBÄCKEREI」(宮廷御用達の菓子店)だった歴史ある店だが、
ウィーン工房デザインの斬新さを許容する先進性もあったのだろう。
リチはボンボンやキャンディーをプリント生地にデザインして、お菓子の都ウィーンに想いを馳せていたのかもしれないとふと思った。
<関連情報>
□「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」
https://mimt.jp/lizzi/
会期:~2022年5月15日まで ※展示替えあり
会場:三菱一号館美術館
休館日:月曜日と展示替えの4月12日*但し、3⽉21⽇、3⽉28⽇、4⽉25⽇、5⽉2⽇、5⽉9⽇は開館
会館時間:10:00~18:00(入館は閉館の30分前まで。祝⽇を除く⾦曜と会期最終週平⽇、第2⽔曜⽇、開館記念⽇の4⽉6⽇は21:00まで)
□三菱一号館美術館 Café 1894
https://mimt.jp/cafe1894/
https://mimt.jp/lizzi/cafe.html/
□「一丁倫敦 丸の内スタイル」展
https://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec090701_1.pdf
□「一丁倫敦 丸の内スタイル」
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784763009340
□「小池一子展 オルタナティブーアートとデザインのやわらかな運動」
https://alternative-kazukokoike.3331.jp
会期:~2022年3月21日まで
会場:3331 Arts Chiyoda メインギャラリー(1F)、sagacho archives(B1F)、B111(B1F)、ほか
会期中無休
会館時間:11:00~19:00(入館は閉館の30分前まで)