Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
「民藝」という概念が生まれて、約100年が経とうとしているという。
1920年代の日本は近代化が進み、昔ながらの手仕事によって生み出された道具が姿を消しつつあった。その土地の風土や人々の暮らしに寄り添う日常の生活道具の中に「美術」とは異なる手仕事の美しさを見出した柳宗悦は、国内外の「民衆的工藝=民藝」を集めて展覧会を行い、雑誌を発行してその考えを広め、日本各地のつくり手たちと共にそれらを売る仕組みを整えた。
民藝によって人々の生活と社会を美的に変革しようという試みは実践となり、各地の賛同者の力も結集しその精神は受け継がれてきた。
今、東京・竹橋の「東京国立近代美術館」で柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」が開催されていて、民藝運動の構造を示した「民藝樹」という図をはじめて見た。
『月刊民藝』の創刊号(1939年発行)から掲げられている図だそうだ。
これは、民藝運動を実践させるための三本の柱、「美術館・出版・流通」を明示したもので、「美術館」は工芸品の蒐集展示を行う「日本民藝館」、「出版」は機関誌『工藝』『月刊民藝』、その他の書籍を編集・発行する「日本民藝協会」、「流通」は個人作家や全国の民藝品を販売する「たくみ工藝店」を表している。
この展覧会を開催している東京国立近代美術館は、開館まもない1958年に柳宗悦から痛烈な批判を受けたことがあったという。
美術館の名称自体が標榜している「国立」「近代」「美術」は、「在野」「非近代」「工藝」を主軸とする民藝館の在り方と対立するものだと指摘したのだ。
それから60年あまりが経ち、柳から受けた指摘を美術館としてどう答えるかが、この展覧会の趣旨のひとつだったという。
近代100年の中に民藝を社会的運動として位置付ける試みとしてこの展覧会は構成され、第1章の1910年代~1920年代初頭の「『民藝』前夜─あつめる、つなぐ」から、1950年代~1970年代の第6章「戦後をデザインする─衣食住から景観保存まで」の6つの章立てに分けて450点を超える作品と資料を展示している。
第1章では柳が『白樺』同人時代にロダンから贈られたブロンズ像と、そのロダン彫刻に魅かれて訪ねてきた朝鮮在住の浅川伯教が持参した朝鮮の壺が並んでいた。
第2章は、民藝運動の推進力となった国内外の「旅」によって発見した、世界各地の工芸の数々が一堂に会する。
目を惹くのは浅川伯教との出会いで朝鮮陶磁器の美に目覚めた柳が、「朝鮮民族美術館」
設立を計画し開催した「李朝陶磁器展覧会」(1922年)で披露された李朝の壺3点。
浅川伯教旧蔵の朝鮮陶磁のコレクションを多く所蔵している「大阪市立東洋陶磁美術館」は2011年に特別展「浅川巧生誕百二十年記念 浅川伯教・巧 兄弟の心と眼─朝鮮時代の美─」を開催したが、李朝のこの壺3点がこのように当時と同じ配置で展示されるのは約100年ぶりだという。
ウィンザーチェアの展示もある。
1929年に柳と濱田庄司は欧米を旅した折、イギリスで300点ものウィンザーチェアを買い付けた。それらを銀座の「鳩居堂」で展示販売し、イギリスの椅子文化を日本に紹介しつつそれらを取り入れた生活スタイルも提案したそうだ。
2017年に日本民藝館で開催された「ウィンザーチェア─日本人が愛した英国の椅子」展も充実していたが、民藝館では展示だけでなくいくつかは実際に腰掛けることもできる椅子もあった。
第3章は民家や民俗学的研究、第4章は雑誌『工藝』や展覧会の展示方法によってなされた美の本質に迫るための「編集」を見せる構成になっている。
第5章の圧巻は、《日本民藝地図(現在之日本民藝)》。6曲1双、4曲1隻の並べると13メートルを超える屏風の一揃いだ。
これは1941年日本民藝館で開催された「日本現在民藝品展」のために芹沢銈介に依頼したものだ。江戸時代に製作された民藝の「古作」の蒐集からはじまった民藝運動はやがて現存し当時も流通していた「現行品」の全国的な調査へと向かい、それらの調査の集大成として製作されたのがこの屏風だったという。“手仕事の保存と育成と産業化”という目標に向かって活動を進化させてきた成果が一目瞭然だ。
第6章は敗戦後の日本の中で、民藝が担った国際文化交流や食文化に及ぼしたデザインの数々、鳥取の民藝運動家の医師・吉田璋也による鳥取砂丘の景観保存、自然保護活動にも言及していて見応えがある。
展覧会特設ショップには「D&DEPARTMENT」と、全国の民藝を扱う4店舗が2週間ごとにポップアップ・ショップを出店している。
11月7日までは「諸国民藝 銀座たくみ」が出店していたので、展覧会で気になった「馬の目皿」を迷わず購入した。これは300年続く瀬戸本業窯で焼かれたもの。
馬の目皿は、江戸後期(19世紀初頭)に庶民の日用雑器として瀬戸本業窯のある洞地区を中心に焼かれ明治初期に廃れてしまったが、民藝運動によって再び脚光を浴びることになり今も生産されているうつわだ。
「民藝の100年」を見てしばらくした頃、吉祥寺の雑貨店「CINQ HOME」で「サンクの民芸展」が11月13日~15日までの3日間開催された。
今年逝去した二人の作家バーナード・リーチの孫ジョン・リーチが開いたマチェルニー・ポタリーのストーンウェアや、リーチ・ポタリーゆかりの陶芸家リチャード・バッターハムのうつわが並んだ。
http://cinq.tokyo.jp/20211106-2/
これらと共に展示されているのはサンクのオーナーの保里享子さんがヨーロッパや北欧で長い年月をかけて集めた籠や工芸品の数々だ。
それらは非売品だが購入可能なポルトガルのい草のマット、スウェーデン・ダーラナ地方の白樺のカッティングボード、エストニアの薄く剥いだパイン材を編んだ蓋付きボックスも並んでいる。そこに宮崎県高千穂のわら細工「たくぼ」の祝結びのお飾り、岡秀行の名著『包』でも大きく取り上げられた藁で編み上げた卵つとなど、保里さんが職人にオーダーしてつくられたものも加わり、豊かな空間を構成していた。
彼女の蔵書もなかなか素敵だ。
柳宗悦の『茶と美』、外村吉之介の『少年民藝館』『ウインザーチェア大全』、福田里香の『民芸お菓子』、『北欧・トナカイ遊牧民の工芸』に『利休のかたち』……。
卵の藁苞が表紙になった『包』の英語バージョンで、ジョージ・ネルソンが序文を書いていることでも有名な1967年に刊行された『HOW TO WRAP FIVE EGGS』の復刻版を購入。
近代から現代に移行する中で失われかけた美しい手仕事が生産され続けるにはどうしたらいいか。
民藝運動はその価値や美の基準を明確にし、価値観を伝えるために展覧会や出版に力を入れた。
その上で必要不可欠なのは、生産者に発注し買い付けユーザーに手渡すという「購買」を担う店がなくてはならないということだ。
民藝に共感する人は今でも増え続けていると思う。保里さんが発注し新しく編み上げられた卵の藁苞や、世界で見つけ出した工芸品を手に取ってそう確信した。
<関連情報>
□柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」
https://mingei100.jp
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー、2Fギャラリー4
会期:2021年10月26日(火)~ 2022年2月13日(日)※会期中一部展示替えあり
休館日:月曜日[ただし2022年1月10日(月・祝)は開館]、年末年始[12月28日(火)~ 2022年1月1日(土・祝)]、1月11日(火)
開館時間:10:00~17:00(金・土曜は10:00~20:00)
*入館は閉館30分前まで
□大阪市立東洋陶磁美術館
https://www.moco.or.jp/about/history/
https://www.moco.or.jp/exhibition/past/?e=188
□日本民藝館
https://mingeikan.or.jp
□諸国民藝 銀座たくみ
http://www.ginza-takumi.co.jp
□D&DEPARTMENT
https://www.d-department.com
□CINQ 5
http://cinq.tokyo.jp
□岡秀行『包』
https://liebbooks.stores.jp/items/5b614012a6e6ee184e002741
□『HOW TO WRAP FIVE EGGS: Traditional Japanese Packaging』
https://nostos.jp/archives/237217
□外村吉之介「少年民藝館」(筑摩書房 刊)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480857965/
□「ウインザーチェア大全」(誠文堂新光社 刊)
https://www.seibundo-shinkosha.net/book/art/19165/
□福田里香『民芸お菓子』(ディスカバージャパン 刊)
https://shop.discoverjapan-web.com/products/mingeiokashi
□「北欧・トナカイ遊牧民の工芸」(日本民藝館 刊)
https://nostos.jp/archives/186499
https://tamatsubaki.net/?pid=102144330
□『利休のかたち』(淡交社刊)
https://www.book.tankosha.co.jp/shopdetail/000000001086/