Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、 東京在住。 武蔵野美術大学卒業後、 女性誌編集者を経てその後編集長を務める。 現在は気になる建築やアート、 展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
これはなんだか分かるだろうか?
実はトイレの一部だ。
それも最新の 「THE TOKYO TOILET」 で、 3年前にこのプロジェクトが発表された際にデザイナーの中に特異なデザインで知られるマーク・ニューソンの名前を見つけて楽しみにしていたトイレだ。
北参道交差点の高架下にあった古い公共トイレが取り壊され、 建築用の保護シートに囲まれているのを買い物の道すがら横目に見ながら 1 年以上が経った。
打ち放しコンクリートの躯体が立ち上がる様も、 銅板で葺かれた輝く屋根ができた時もワクワクしていたが、 まるで城を支えるような石垣の石積みがはじまった時は一番驚いた。
石工職人集団=穴太衆の里、 滋賀県大津の坂本へ行った時に見た石垣を思い出した。
ようやく囲いが取り払われた時はこんな感じで、 どこか日本の古民家のような佇まいで古来の日本の建物を未来に転送した過程でできたかのような、 不思議なかたちをしていた。
Rのある入り口を入ると内部は淡いグリーンで、 正面にまたRのある多目的トイレの入り口があり、 それを中心に左は男性用、 右は女性用に分かれている。 天井の照明、 外光が入る入り口、 どこを見ても超未来的だ。
そして夜になると 「蓑甲(みのこ)屋根」 という日本の伝統建築のかたちの屋根と躯体の間から光が放射され、 まるで屋根が浮かんでいるかのように見える。
マーク・ニューソンの名前を知ったのは90年代のはじめ青山にあった「IDÉE」だ。
IDÉEの創始者・黒崎輝男氏が発掘してきた若い才能としてだった。
マーク・ニューソンは1963年生まれ。 シドニー芸術大学出身で、 1986年に飛行機の機体を思わせる無数のリベットでアルミ板を留めつけた寝椅子 「Lockheed Lounge」 を発表。
偶然東京で出会った黒崎氏はいち早く彼の才能を見抜き、 1987年に彼を招いてIDÉEのための家具のデザイン制作を任せた。
それをIDÉEがミラノ・サローネで発表し、 一躍世界の注目が彼に集まった。
1991年に東京を離れるまでの間に生まれたのが、 首都高の照明から発想した 「Super Gupeey Lump (1987)」、 ウエットスーツ用の素材のカバーに包まれた 「Embryo Chair (1988)」 ラタンで編み上げた 「Wicker Chair (1990)」 だ。 Embryo Chair とWicker Chairは今でも生産され、 IDÉEで購入することができる。
そして多くの人の記憶にあるのが 「KDDI」 の 「au Design project」のひとつとして発表された携帯 「talby (2004) 」 のデザインだろう。
サウンドはマークと親しいニック・ウッドが担当し、 群を抜いてスタイリッシュだった。
90年代の東京には黒崎氏のように若く無名な才能を見出し制作の機会を与え、 日本から世界のデザイン界へ発信させることのできる気概と芯のある人がいた。
そのもう一人は E&Y の創始者・中牟田洋一氏で、 彼はトム・ディクソンや彼のスタジオから独立したばかりのマイケル・ヤングを世に出した人だ。
黒崎、 中牟田両氏は 「東京デザイナーズ・ブロック」 というデザイン・イベントを具現化し、 日本でのプロダクト・デザインを先陣を切って認知させた人たちと言って過言ではない。 その後このムーブメントは 「デザイン・タイド」 などさまざまなかたちで受け継がれていく。
2014年に中牟田氏がキュレイターとなって当時 IDÉE や E&Y で生み出されたデザイン・マスターたちのプロダクトを集め、「Tokyo Avant-Garde 90's」として「International Furniture Fair Singapore 2014」 で発表した。
この展示は、 IDÉE や E&Y によって日本に招かれた若者たち=トム・ディクソン、 マーク・ニューソン、 マイケル・ヤングなどが日本各地を巡り、 生産者と協働し前例のない前衛デザインの時代を切り開き、 世界に日本のプロダクト・デザインのレベルの高さを認識させてきたことを証明するものだった。
90年代の IDÉE には色々魅力的な伝説があった。 屋上にあるフラー・ドーム型ペントハウスでクラウディオ・コルッチが滞在し制作していたとか、 まるで映画 『ジョン・マルコビッチの穴』に出てきたような異常に天井の低い部屋があって、 そこが会議室だったとか……。
2000年に IDÉE から発刊されたインタビュー集 『SPUTONIK/WHOLE LIFE CATALOGUE』 は世界中のクリエーター (建築家、 デザイナー、 ミュージシャン、 アーティストなど) 80名にインタビューを敢行したもので、 それも今では伝説の書物だ。
インタビューは下記に従って編纂されていると明記され、 「自らの信ずるところに向かって生きている人をセレクトした。」 とある。
その中にマーク・ニューソンへのインタビューを見つけた。
「マークのデザインは異色だね、 変わっているけど親近感が持てる」 と 『SPUTNIK』 編集長・野村訓市が語りかけると、 マーク・ニューソンはこう答えた。
「解釈するための手段を持つのは大事なことだと思う。 つまり歴史さ。 (中略) 未来や経験や素材、 すべてを集めたような。 親近感が持てるような何かがあれば、 深い感情とのコネクションのようなものが持てる。 デザインに個性を持たせることは大事だと思うからね。 まるで生きもののような個性や性格があれば、 デザインをしてただ立ち去っても、 それはどこかで生き続けるんだ。 僕無しでもね。」
このトイレもそうなるのだろうか。
<関連情報>
□THE TOKYO TOILET
https://tokyotoilet.jp
□Marc Newson Ltd
https://marc-newson.com
□IDÉE
https://www.idee.co.jp